「金の成る木」とは、木にお金が実るという意味の木ではありません。
徳川家康公が日々の心構えや生き方を、木になぞらえて表したものです。
実際にGoogle EarthでもGoogle Mapsでも「金の成る木」と検索すると、周囲に何十万本とある木々のなかの一本が、ピンポイントで表示されます。
ただ私としては、その位置が本当に正確なのか気になりました。そこでストリートビューでも確認し、自分なりに丁寧に精査したうえで、その位置を示すに至りました。
また、「金の成る木」がある久能山東照宮 が、なぜこのような急峻な地形の上に築かれたのかという点にも注目しました。
あわせて、久能山東照宮と 日光東照宮 の位置関係、そして真西を向く 徳川家康 公の墓所「神廟」についても、Google Earth 上で確認しながら考察を交えて触れていきたいと思います。
金の成る木をGoogle Earthで見てみる
ストリートビューで久能山東照宮本殿から「金の成る木」までのルートを確認します。
まずはこのストリートビュー。矢印、クリックします。
先程の画像の先のこの場所に進みます。
鳥居の手前ですね。
更に奥の斜め横の矢印をクリックして先に進みます。
先程の画像の先ではなく、カメラの視点は駿河湾方面に変わってしまいますが、視界には「金の成る木」」が入ってきます。
これまでのストリートビューで確認した「金の成る木」へのルートはこのようになります。ここが私が精査した「金の成る木」」となります。
Google MAPで示している「金のなる木」の場所です。
周囲に同じような木々が並ぶ環境でありながら、Google Maps は「金のなる木」を正確な位置に示していました。膨大な地理情報の蓄積と位置データの精度の高さによって、名所のひとつひとつが丁寧に地図上へ落とし込まれていることがうかがえます。
なぜ久能山東照宮は断崖絶壁の近くにある?
久能山東照宮 と「金の成る木」の周囲を Google Earth で見てみると、まず目を引くのが、駿河湾に向かって切り立つような急峻な崖です。
この地形を見ていると、さまざまな想像がふくらみます。東照宮は、この天然の要害ともいえる地形を見込んで、あえてこの場所に建立されたのか。それとも建立当時から現在までの長い年月のなかで、侵食や自然の営みによって、いま見られるような険しい山肌が形づくられていったのか――。
、そうした思いを巡らせてしまうほど、久能山東照宮は極端で印象的な地形の上に静かに佇んでいます。地上から参拝した時とはまた違う、地形そのものの存在感が、Google Earthの視点からは強く伝わってきます。
まずは周囲に目を向けてみましょう。Google Earth 上では、山肌が露出した急峻な斜面が周辺の各所で確認できます。そしてそれらの多くが、そろって 駿河湾 側を向いています。
この景観を見るかぎり、久能山東照宮のすぐ近くにある断崖だけが、建立後に局地的な自然作用によって生じたものとは考えにくそうです。
実は太古の時代に隆起した有度山(久能山含む)南面一帯の柔らかい地質部分が自然現象による浸食などで崩れ落ちた結果だったのです。
つまり有度山南面一帯に広がる地形の特徴の一部として、もともと存在していた急斜面の上に東照宮が築かれたのです。
久能山東照宮は、そうした広域の地形のなかに抱かれるように建つ、非常に特徴的な立地にあります。
久能山東照宮が断崖絶壁にある理由は?
久能山東照宮 を Google Earth で見ていくと、あえて急峻な崖の近くに建立されたことがわかります。
では、なぜ 徳川家康 公を祀る東照宮が、このような崖のそばに築かれたのでしょうか。
その理由は、この地がもともと 久能城 の跡地だからです。
戦国時代、武田信玄 は駿府攻略において、この地が天然の要害であることに着目し城を築いたと伝わります。武田氏滅亡後は、のちに家康公の城となりました。
駿河湾に面した切り立つ崖は、外敵が容易に近づくことを許しません。Google Earthで俯瞰すると、その防御性の高さが今でもよく伝わってきます。
その後、家康公の崩御に際し、遺言によってこの久能の地が埋葬地に定められました。こうして久能城の跡地に東照宮が築かれ、城としての歴史はその役目を終えることになります。
……しかし、この場所の歴史はさらにその前へとさかのぼります。
久能城が築かれる以前、この地には 久能寺 がありました。武田信玄は、もともとあった久能寺を移して久能城を築いたとされています。
そうなると、次に浮かぶのは別の疑問です。
なぜ寺院が、このような険しい地形の場所に建てられたのか。
この答えは、まだ調べきれていません。ただ、久能寺は平安期に創建された、都とも関わりの深い大寺院だったとされます。
だとすれば、この場所が選ばれたことにも、地形・信仰・交通・眺望など、何らかの理由があったのかもしれません。
久能山をGoogle Earthで眺めていると、地形を通して、寺・城・東照宮へと変遷してきた土地の記憶が見えてくるようです。
Google Earthで見る 久能山東照宮と各所を結ぶ線
久能山東照宮と日光東照宮を結ぶ線
さらに興味深かったのが、久能山東照宮 と 富士山 を結んだ先に、日光東照宮 が位置しているとされる説です。
Google Earth上で実際に検証してみると、たしかにその位置関係は非常に近く、思わず見入ってしまいました。
もちろん、これが創建時にどこまで意識されていたのかを断定することはできません。しかし、徳川家康公が眠る久能山と、その後に祀られた日光、そして日本の象徴ともいえる富士山が、地図の上で一本の線のようにつながって見えることは非常に印象的です。
地上からの参拝では気づきにくいこうした位置関係をGoogle Earth で俯瞰することも楽しみの一つですね。
久能山東照宮と岡崎城を結ぶ線
久能山東照宮 には、徳川家康 が埋葬された墓所である「神廟」があります。
この神廟は、徳川家康 公の遺言により真西を向いており、生誕の地である 岡崎城 をはじめ、家康公ゆかりの地々を結ぶ方向にあると言われています。
Google Earth 上でその位置関係を確認してみると、岡崎城へ伸びる方角は真西にかなり近く、たしかにそのような意図を感じさせる配置にも見えます。
最後に
徳川家康 公も、まさか没後400年以上を経た時代に、Google Earth によって自らの遺言や土地の意図が上空から可視化されるとは、想像もしなかったことでしょう。
金の成る木、神廟の向き、久能山の地形、そして日光東照宮と岡崎へ伸びるライン。
当時は地上からしか見ることのできなかったものが、いまはGoogle Earthによって現地にいることなく俯瞰できる時代になりましたね。
家康公の思いや設計の意図が現代の衛星画像の上に見ることができるのです。とても感慨深く感じられた考察でした。











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