Google Earth の 「3建物の3D表示」において新南陽市エリアもこの春から表示対応となりました。
皆様ご存じの通り山口県の瀬戸内海沿岸部の主要都市が一斉に3D表示対象エリア(岩国市は惜しくも一部だけ)となり、新南陽は周南市のエリアとして旧徳山と下松市とともに対象となりました。
当初徳山駅周辺の景観に色めきだったわたしですが、たまたま1年ほど前にGoogle Earthにおいて旧新南陽市エリアを閲覧したことがあり少なからず新南陽との縁を感じていたのでまずはじっくり新南陽エリアをつぶさに閲覧しました。
その中で私なりに着目したことを書き留めておきたいと思った次第です。
本来自分自身「3Dになったらその情報だけでいいじゃん」と思うところもあったのですが(実際そんな投稿ばかりでした)、どの街も感銘を受けることが多すぎて眺めているだけでその街に没入してしまいます。
新南陽エリアが3D対応になってからまぁまぁ日が経っているので今更ながらなのですが、自己満足でお見苦しくはあるのですがどうかお付き合いください。
私が着目して記載したのは、外観、中心市街地、市役所、無人駅となった新南陽駅、歴史建築物、コンビナートなどです。
旧・新南陽市の外観(Google Earth)
新南陽市は1970年に 都濃郡南陽町が市制を施行して誕生→2003年合併により周南市に
新南陽エリアにも広大なコンビナートが沿岸を埋め尽くしていますね。
その先の目と鼻の先には前方後円墳のような形の仙島と黒髪島が見えます。
貴重な平地の真ん中に永源山があるせいか、新南陽の中心市街地は引き締まったような印象です。
そして遠方に見える徳山中心市街地の迫力ある景観は、10万人都市の規模には見えない程景観が大都会です!商圏人口24万人以上の景観かなと思いました。
市街地と山、海、工場が揃っていて街に活気があるように見えます。
コンビナートが街の象徴なのでしょうが、永源山も街のシンボルのように見えます。
市街地の中に鎮座する小山好きな私です。
旧・新南陽市の中心市街地(Google Earth)
中心市街地と新南陽駅。周南市の副都心という響きも合いますが、やはり合併前の旧市の中心だという威厳を感じます。
ロータリーも駅前の大通り沿いもしっかりと街の中心たる雰囲気を持っています。
新南陽エリアは「政所」交差点が新南陽の中心でしょうか。
元々市の中心だけあって新南陽駅北口周辺は区画と道路が整備されていますね!
コンパクトで美しく見える新南陽の中心市街地です。
旧・新南陽市の市役所(Google Earth)
新南陽市が周南市となり周南市役所は合併の中心となった徳山に設けられました。
では新南陽市の市役所はどこにあったのでしょう?
そして現在どこに?
新南陽の中心部に目を向けるとひと際目立つ建造物があります。
スクエア(四角)の階層とオクタゴン(八角形)の階層の組み合わせが目を引きますよね。
いかにも公共機関風。新南陽市の市役所?と思いましたが違いました。
周南市立新南陽病院でした。
そして旧・新南陽市役所の位置はこちらでした。
新南陽市が周南市となり、新南陽市の市役所は周南市の「新南陽総合庁舎」と名称が変わりました。
当時の新南陽合同庁舎の写真がありました。
探し方が悪いのか、旧市役所(合同庁舎)の全景写真は意外と無いんですよね<
2008年当時の新南陽合同庁舎全景です。
現在はこんな感じです。
消防署は老朽化でこちらに移転してきたそうです。
そうなると元の消防署の今が気になる無限のループです^^;
現在の新南陽合同庁舎(仮庁舎)の場所は「イオンタウン周南」内にあります。
ベイサイドに工場も似合いますが、こうした商業施設があるのも市民生活に活気をもたらしますよね(駅前や中心市街地に一番の活気があってほしいのですが)。
新南陽駅(Google Earth)
新南陽駅はなぜに無人駅?
元々人口が3万人以上いて、山陽本線の駅で、街も極端に小さくひなびているわけでもない・・・なのに新南陽駅は、2022年10月1日に無人駅となりました。
街の規模や人の流れからして無人化していたとは驚きました。
平均して1日に1000人超が乗降する駅ですよ。
そして、なんと、新南陽駅のみどりの窓口の営業終了が前日9月30日。
みどりの窓口撤退から無人駅化までわずか1日。
IC乗車券の普及と経費削減が大きな理由だと思うのですが・・・
ホームで落とし物をしたらどうするのでしょう?
お体の不自由な方が駅構内で困っていたら・・?
モータリゼーションが進んだとはいえ、駅は街の顔で移動の人で行きかう場所。
この街の規模なら駅員さんがいてほしですよね。
南口駅前の整備が今後進むと同時に、1980年から運用開始の駅舎は改築の流れになるのではないでしょうか。
その時は線路をまたぐ橋上駅舎化するのではないかと勝手に予想します。
その時は再び駅員配置駅に戻ることを強く祈ります。
新南陽駅 貨物駅
新南陽駅には旅客駅の他に貨物駅があります。
操車場の線路はいずれ撤去され、南口側の整備が行われるのではないでしょうか・・・。
貨物専用線痕跡
かつてこのように工場内に伸びていた専用線も廃止され・・・
今は線路も撤去されアスファルトに姿を変えています。
直線とRがかった線が線路の名残に見えますよね。
旧・新南陽市の歴史的建造物(Google Earth)
新南陽には誰もが知っている有名な歴史上の人物に由来する貴重な遺構や趣のある旧館などがありました!
旧 日下医院本館(くさかいいん)
旧 日下医院本館は昭和3年に建てられた登録有形文化財
「旧」ということはどこか別の場所で今も日下医院は営業しているのかな?と会津若松市の黒河内医院のように旧館を最寄りに残す医療機関ではないかと期待を胸にググってみましたが見つからず。
しかし日下医院と言う名称の病院は見つからず・・・いつか新南陽の図書館で日下医院の歴史と現在を調べてみたいものです。
毛利元就が三本の矢の教訓状を書いた勝栄寺の土塁跡
山口県周南市中央町3-10
新南陽駅から程なく近い場所にあります。
新南陽の歴史に疎い私は「新南陽の歴史」とググったところ出てきた案件です。
どれどれ、どんな土塁がのこっている?と見てみたところ・・・驚愕!
しかしよくぞ今日まで残っていた!!!と思えるほどの素晴らしい遺構を閲覧することができました!
山陽本線が敷かれる前はもう少し長い土塁が残されていたのでしょうか?
現況はかなり綺麗に整備されていますが、恐らく近世に至るまでは凸凹で荒々しい状態での保存だったのかもしれませんよね。
こんな形状だったのですね。
現在の新南陽であればどのくらいまでの範囲だっだか気になった私は、Google Earth に寺社由来図を重ねてみた!それがこちら。
寺社由来図が描かれた元文5年(1740年)は伊能忠敬が生まれた1745年よりも5年も前。
測量技術が発達していないきっと由来図は大雑把に描かれたものに違いない、と思い込んで重ねてみましたが思いのほか由来図と現在の土塁(黄色い線)の形がピッタンコ?!だともいませんか?
さぁこれで往時を偲びましょう!
そしてさらに驚いたことに勝栄寺はなんと!!あの毛利元就が、あの三本の矢の教えの逸話の元となった「三子教訓状」をここ勝栄寺で書いたということです。
(詳しいことについてはこちら素晴らしい文献とも言えるブログからご覧下さい。)
新南陽の歴史遺産:戦国武将・陶晴賢の居城 若山城跡
陶晴賢:すえはるかた(1521-1555年)と言えば戦国好きであればだれでも知っている武将。
そんな著名な武将の居城が新南陽にあるとは知りませんでした。
旧・福川町エリアにあります(福川町と富田町→南陽町→新南陽市→周南市)。
3D表示エリアギリギリにあります。
Google Earthを拡大すると何とか本丸に続く鳥居と本丸が確認出来ました。
若山城までは麓から登山道が整備 されております。
二の丸三丸までは車でも行くことが出来るようです。
若山城付近は周防バイパスが貫通しており、ほとんどが切通し(黄色い丸)を採用してる箇所が多いです。しかし登山道を含むエリアは切通しにしておらず山地を残しておりトンネルです。
若山城整備を考慮して登山道を残すという選択に基づいた思われますが、建設段階からそうだったのか?計画当初は切通し案だったのか?揉めたのか?・・・経緯が気になります。
いずいれにしましても現況が保たれたことはよかったです!
山陽本線 古川跨線橋 かけ替え
新南陽駅東にある跨線橋が工事中のようでした。
何かと思い調べてみましたところ、耐震基準を満たしていなかった旧橋を撤去し新たに架け替えるというものでした。
山陽本線の踏切もしくは立体交差はそれほど多くなく、さらに最も中心市街地に位置する古川跨線橋の撤去と架け替え工事は生活する地域の皆様にとって大変難儀していることでしょう。
私も離れた場所からではありますが、事故無く計画通りみ工事完遂することを祈っています。
最後に
新南陽も未訪問の街です。
見事に新南陽に沼ってしまいました。
未訪問だから新鮮で関心も抱き、そのせいか沼にハマってしまうんですよね。
私にとって恋焦がれる聖地がまた1つ増えました。
徳山と行ったり来たりになりそうです!
最後までお付き合いありがとうございました。
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