宮崎県北部の都市、延岡市がGoogle Earthのマップにおいて3Dにアップグレードしました。
宮崎県には一度も足を踏み入れたことがない私(大分・熊本もです:熊本はコロナ罹患でキャンセル)で、当然延岡市も未訪問。
そんな私が延岡市を空中散歩して瞬時に「オオ!」と唸ってしまい、以後感銘を受けまくりました。
都市景観その他について思った感じたことを好き放題書かせていただきました。
日豊本線 延岡駅の3Dマップ
延岡駅周辺には百貨店が数店存在して相当な賑わいだったようですね。
延岡市の中心となる繁華街は市役所やお城跡のある三角州の中にある中町や船倉町だそうですが、延岡駅周辺や画像奥に見える全蓋式アーケード「山下新店街」や左上の祇園町など、延岡駅周辺は広範囲にわたり見応えがある景観です。
反対側出口にもロータリーが備わっており、駅前も駅前らしい整然として見応えのある景観。
延岡市としての力の一端が垣間見えます。
そして駅構内が見渡せる画像。
延岡駅構内にはJR貨物の駅もありますね!
特急列車の運行本数が多い日豊本線ですが、宮崎も含めて単線区間が多く延岡駅付近も例外ではありません。
大きな街に単線で市街地に出入りするというシチュエーションに萌える私です。
(宮崎、徳島、高知、鳥取 )
素晴らしい景観。
延岡駅付近の高千穂鉄道廃線跡
そして鉄道絡みが続きます。
延岡駅には日豊本線の他にかつて高千穂鉄道高千穂線が乗り入れていて駅舎とホームが存在し、神話の里・高千穂への貴重な観光路線でした。
しかし高千穂鉄道は2005年に襲った台風により甚大な被害を受けました。
そのため運航休止を余儀なくされ、運航休止のまま2007年9月に延岡~槇峰駅が廃止、残る高千穂までの区間も復旧されないまま廃止となってしまいました。
延岡駅 高千穂鉄道ホーム 比較
高千穂鉄道高千穂線の延岡駅とホームは現在どのようになっているのでしょう?
●2010/3月の画像●
2007年の廃止から3年ほど経過した時点では、線路は既に撤去されていることがわかります。
しかしまだ駅舎とホームが残っているので往時を偲ぶファンが訪れたことでしょう。
黄色い線=駅舎とホーム / 赤線=高千穂線の線路
●高千穂線跡 最新の2D画像●
高千穂線の駅舎とホームが撤去後は、地元のタクシー会社のものと思しき建造物と駐車場に姿を変えています。
そして駅前も再開発により整備が行われていますね。
以前より合った小さなロータリーがより機能的な形状に生まれ変わっています。
(上)新しいサブ?ロータリーにはバスの停留所が見えます
駅前画像を見ますと、駐車場が多いようです。
駐車場周辺のマンションや建造物や立地の間隔を見る限り、街の最盛期には迫力のある駅前の景観が楽しめたに違いありません。
駐車場に転用された場所に
駅舎も周辺も、この景観とても好きです。
街最盛期の延岡駅周辺は、駐車場ではなく建物がびっしりだったのでしょうね?
そして駅周辺は繁華な雰囲気がプンプン漂っているのに、さらに他にも繁華なエリアがいくつも存在している延岡市。先入観無しで実際に延岡市を訪れたら興奮していたことでしょう。
昨今、地方都市の街中は空洞化しており延岡市も例外ではない事は想像に難くありません。
しかし!街の原型は現存しています。
過去の賑わいの風景も含めて現在の延岡市の姿に萌えております^0^
廃線跡の再開発の進捗
せっかくなので高千穂鉄道の廃線跡も見てみましょう。
●2010/3月の画像●
廃止から3年程経過。
線路は既に撤去済ですが敷地がまだ残っています。
●最新3D画像●
高千穂線跡地は整地され、高層マンションと住宅が建設されて再開発が進んでいることがわかりますよね。
●Google Earth Pro 過去画像の最新 (2024/3月)の2D画像●
PRO版の過去画像の最新の日を選択するとこの画像になりました。
3Dの画像よりもマンションと思しき建造物の土台が複数現れていますね。
鉄道好きの私としては高千穂線廃止は残念な出来事だったのですが、延岡駅西側の市街地の一体化が進むことになります。
一方、都市好きでもあり地方都市の繫栄を願う私としましては、延岡市内の活気に繋がることになるので嬉しくもあります。
延岡市の都市景観
延岡駅付近
大師通り商店会 ~ 山下新天街アーケード
大師通り商店会 と 山下新天街アーケードのつなぎ目に垂直に今山大師駅前参道というレトロな商店街がありますのでこちらも紹介。
延岡駅前 → 今山大師駅前参道
延岡駅ロータリー前の道路を渡るとすぐ今山大師駅前参道あります。
ロータリーすぐ前に参道入口
駅前参道を進んで行くと・・・・
左手に山下新天街の入り口にさしかかります。右側が大師通り商店街になります。
参道商店を進むと現れるアーケード入口に心躍ります。
山下新天街アーケード ~ 祇園町銀天街アーケード ~ 中州 上空から
山下新天街アーケード商店街は約200m。
ここを通り抜けるとその先には祇園町の片屋根式アーケード見えます。
上空からも心躍りますが、地上からのこの構図も萌えに萌えます!
祇園町銀天街界隈
祇園町銀天街と祇園町交差点の接続部 上空からも見応え十分
祇園町銀天街アーケード。道幅も広し。景観良し!
主要な交差点である祇園町交差点に「隅切り(すみきり)」を施すことで景観度が高くなっていると思います。建築基準法や条例などに基づくものではなく街づくりの一環なのでは。
祇園町銀天街アーケード以外の通りでもでもこの界隈には主要な通りが縦横に走っていて街の奥行きを大いに感じます。区画と道幅への意識が高くもって整備に取り組んできた延岡市の行政のファインプレーですね。
祇園町銀天街側から五ヶ瀬川にかかる板田橋を望む画像です。
この橋の先にまだ繁華街があるなんて・・・なんて浪漫溢れるワクワクする街なのでしょう。
中州 旧城下 延岡中央商店
中央通り交差点。
祇園町交差点も素晴らしい景観なのですが、中央通り交差点は風格が一段上に感じますね。
方屋根式アーケードの商店街は最大5車線幅。
中央通り交差点の隅切りはより大胆で、四つ角全てまるで公園のような憩いの場所。
最盛期は大いに人出でがあって賑わったことでしょうね。
中央通り交差点から城山と市役所などの官庁街に至る中央通り
反対方向は飲食店で賑わう船倉町方面
ストリートビューによる中央通り交差点画像です。
右折をすると城山・市役所方面、左折すると船倉町方面です。
ここが両側を大きな川に挟まれた三角州の中だということを忘れてしまいそうです。
中央商店街界隈も大通りではなくても見応えのある路地が随所に存在しています。。
これは延岡市の街の力の表れだと思います。
明治22年の延岡町の範囲は、上の画像の延岡城下と船倉町(三角州先端)でした。
城下までが範囲という事は、五ヶ瀬川と大瀬川の対岸まで及んだということでしょうね。
都市景観に見とれつつ、城下町時代の延岡はどんな感じだったんだろう・・・とまたも妄想。
「延岡城・内藤記念博物館」、延岡を訪問して必ず立ち寄りたいです。
旭化成 恒富工場方面
次はもう1つの大河・大瀬川を渡って旭化成 恒富工場のあるエリアに目を向けてみます。
これまで賑わいのあるエリアを複数個所に渡り抜けてきましたが、まだまだ市街地は終わらない!といった風景が広がっていますよね。
そしてこのエリアは旭化成 恒富工場の他にも安賀多商店街が形成されています。
ストリートビューで安賀多商店街を見ると少し寂しく見えますが、1965年に91店でスタートした商店街は現在は35店まで減少しているとのこと。しかしシャッターがしまった店舗がのこっているものの、かえってそれが「商店街」だとわからせてくれるのです。
そして安賀多商店街は旭化成恒富工場の最寄りであり、安賀多商店街は長年旭化成の門前町のような存在だったのではないでしょうか。
そんな安賀多商店街のすぐそばにイオン延岡店があります。
イオン延岡店の歴史は企業城下町延岡市ならではの話が詰まっており、他都市に見られるイオン進出と一線を画している様相です。
それゆえなのかイオンは安賀多商店街振興組合に入会しており、商店街とイオンとの共存共栄の道を模索しているそうです。実際の取り組みがどのようなものなのか大変興味深いですね。
南延岡駅 界隈
南延岡駅は延岡市の南の玄関口。
展望台のある愛宕山の麓にあります。
旭化成 恒岡工場最寄りではありますが、恒富工場に通勤する利用客はあまりいないようです。
(工場近くに駅を設置する計画が無かったのかな?)
かつてはブルートレイン「彗星」が停車し、現在は全ての特急が停車します。
とても多様な拠点が存在する特色のある街・延岡市。
大瀬川以南に広がる広大な市街地にこのような駅があるのは必然とも言えますが、都市力の裏返しとも言えるかと。
3D化した延岡市で2Dのままの場所がある
今山八幡宮付近でしょうか。
まるで禁足知の如く、3D化を避けられたかのような場所があります。
いずれ修正されるのでしょうね?!
旭化成工場 3D画像
延岡市と言えば旭化成の企業城下町。
宇部市(宇部興産)や日立市(日立製作所)など自治体の名前をそのまま企業名に用いる例もありますが旭化成は延岡と関連付けていないですよね。そこがまた奥ゆかしくて良い感じで。
旭化成 恒富工場
昭和5年に延岡町(延岡市には昭和8年施行)と合併した旧恒富村の村域に立地する岡富工場。
近隣には安賀多商店街があります。
南延岡駅から貨物の引き込み線が敷かれ、工場内との往来が見られましたが惜しまれながら2023年8月に廃止となったそうです。
北側からの眺めた画像には工場中央に貨物用の線路が見えます。
旭化成 岡富工場
昭和5年に延岡町(延岡市には昭和8年施行)と合併した旧岡富村の村域に立地する岡富工場。
恒富工場近隣に安賀多商店街があるように、岡富工場前にはレーヨン通り商店会があります。
岡富工場には恒富工場にあるような貨物の引込線がGoogle Earthの画像から見ることができません。
しかし過去には引込線が存在し、高千穂線を経由して旭化成 岡富工場内に貨物列車が行き来していたようです。
2010年の画像からも貨物引込線の痕跡が伺えます。
近世の延岡市の古写真で操業当時の引き込み線の様子が分かります。
都市景観も大好きですが、リンク先画像ような近世の古写真を見ることもとても好きです。
往年の延岡市の活況具合がよくわかります!
延岡城(県城)今昔
まずは延岡市の基礎を築いた高橋元種築城の延岡城から。
立体的にこんなに鮮やかに見ることができて、本当に3Dはありがたいです。
そしてそんな延岡城の今昔をちょっと見比べようかと。
延岡城の古地図の画像を拝借しました(引用:「田舎暮らしDeほっ!」から)。
大瀬川と五ヶ瀬川という大きな両川を天然の外堀にして、そして三角州の中に城山に適した平山。
こんなロケーションのお城は珍しい?他にもあるかどうか探してみないと。
それにしても治水問題大変だったでしょうね・・・
「信長の野望」において九州地方にはしょっちゅう台風が来たので、九州の領地でのkォマンドはもっぱら「治水」でした・・・。
1601年に今の延岡の街の形が完成したそうです。
川の存在が大きな延岡市にとって、今日に至るまで街の形の維持に相当の苦労を重ねたことでしょうね。
都市景観も好きですが、歴史も好きで中世近世の建造物も好きです。
当時の延岡城下の姿をこのように俯瞰してみてみたい・・・想像を助けてくれるCG画像がどこかに無いものでしょうか。
旭化成の株式銘柄 場立ちによるハンドサインは?
最後に・・・Google Earthとは無関係ですが旭化成の株式の銘柄について。
一昔前まで株式の売買は人の手によって行われていたことをご存知の方は多いと思います。
「場立ち」という言葉を聞いたことがありますか?
旭化成関係者のい多い延岡市。
旭化成の銘柄の売買の発注をした経験がある人は多いのでは?!
直接銘柄を購入しなくても持株会などを通じて間接的に売買にかかわることもあります。
場立ちを通じた「人の手」による売買の仕組みは下の画像の感じです。
取引所から離れた場所にある証券会社の中にある売買を指示するセクション(株式部など)が無線を通じて取引所内にいる場電(その証券会社の社員)に何かしらの銘柄の売買を指示します。
場電は場内で待機しているその会社の場立ちにハンドサインで株式銘柄の売買の指示を出します。
その内容は①銘柄(企業名) ②値段 ③株数 ④売り買いの別(②から手のひらを裏か表かみせることでで区別する)です。
売り買いの表現は下記の通り。
買うなら場立ちに手の甲を見せます(自分には手のひらを向ける)。
ブルース・リーの仕草で、相手に対して来い来いと挑発する時と同じ手の甲の向きですね。
売りなら反対に手のひらを場立ちに向けます。
売りなので自分から遠ざけるようなイメージ。
値段と株数は指を使って表現できることは容易に想像がつきますよね。
では銘柄はどうでしょう?
指や腕、顔を使って銘柄の名前の文字を表現する場合もあります。
しかし私の知る限り、旭化成の場合は「アサヒ」と言う表現ではありません。
旭化成という銘柄をハンドサインで表現する元にしたのは「ベンベルグ」です。 (※証券会社ごとにサインは異なるため、証券会社によっては別の表現かもしれません。)
証券会社の人たちは銘柄の企業や内容などを本当によく勉強し研究します。
旭化成と言えば「ベンベルグ」という繊維が主力の1つだということは当たり前のように知っていたのでしょう。
そこで上手くハンドサインにベンベルグという表現を用いたのでしょうね。
さて、場電や場立ちがベンベルグをどのように表現したかというと単純明快「ベル(鈴)」です。
遠くで場電が場立ちを呼んで、指でベルを鳴らすようなアクションをしたら「旭化成の銘柄を売買する指示」だと瞬時に判断するのです。
あとは売りか買いか?値段は?株数は?をハンドサインで指示を受けて、取引ポストの中にある旭化成の売買の場所に行って売買を仲立ちする担当者(厳密に言うと仲介を専門とする証券業者)に売買発注を出します。
ちょっと長くなりましたが延岡市トリビアになるかどうか?!の話題でした。
延岡市 Google Earth 3D化 まとめ
延岡市を訪問したことが無い私でしたが、数日間憑りつかれたようにGoogle Earth で延岡市内を散策し、思いを馳せるとともに好き放題私見を述べさせていただきました。
当初は延岡市には関心が薄く、3D化したんだー・・・という軽い気持ちでGAを覗き込んだのですが、歴史も街を取り巻く地形も特色があり過ぎて延岡市にドハマりしてしまった私です。
Google Earth で眺める景観の素晴らしさとモータリゼーションと同時に空洞化が進んでいる実際の街の活気ではギャップが大いにあるということは百も承知しています。
そんなギャップがあると言って先人の築き上げてきた延岡市という街の形や現在の景観の素晴らしさと延岡市の関心が色褪せるという事はありません。
海が間近にあり、山も間近にあり、その上大河も大きな橋も身近な存在な延岡の街はとてもはロマンに溢れていると思いました。
レトロでロマンに溢れて中世も近世も歴史の話題に事欠かない街としてもっと脚光を浴びてよいですよね。
大分県宮崎県(熊本県も)未踏の私が両県方面を訪れる済は、延岡市目的を軸として計画を組みます。
延岡1泊目の夜は船倉町で美味しいお酒を飲みたい・・・1日でも早い延岡訪問が実現しますように・・・。
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