神奈川県西部にある秦野市ですがグーグルアースにおきまして3D化しておりました。
秦野市については2025年2月以降確認を怠っていたため、いつ頃3Dマップ表示への更新を果たしたのかわかりません。
ChatGPTに確認方法を聞いてみましたがその術は無いようです。
もしお分かりの方がいらっしゃいましたらご教示をお願いいたします。
秦野市エリアの3Dエリアの境界線の確認と3Dマップ化した秦野市の市街地、そして個人的に気になったことを気ままに紹介したいと思います。
秦野盆地周辺のグーグルアース3D境界線のビフォーとアフター
秦野盆地で見る3D境界線のビフォーとアフター
神奈川県唯一の盆地、秦野盆地。かつては葉タバコの生産地(~1984年)でした。
まずは画像のみで変化をご確認下さい。
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同じ画像に境界線を入れてみました。
これまでは秦野市街地の南側の大磯丘陵までが3D境界の北限でしたが、現在は丹沢山地の山すそを超えています。
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秦野盆地~大磯丘陵周辺のグーグルアース3D境界線のビフォーとアフター
もう少し広範囲で3D境界線のビフォーとアフターを見てみます。
まずは画像のみでご確認ください。
3D処理をされていないエリアは市街地の色が少しくすんだグレーです。一方3D処理を施された市街地は同じグレーでも他の色が散りばめられたような生き生きとした感じです。市街地以外の田園地帯や緑地部分ではより顕著に違いが分かります(※個人的見解)。
先程の画像に境界線を入れてみました。
これまでは秦野盆地の南側を形成する渋沢丘陵を含む大磯丘陵以北が2D表示でした。
今回の表示で秦野盆地の北側の丹沢山地にかかるところまで3D表示エリアとなりました。
山北町は引き続き2D表示のまま。今後の3D表示は?
画像をご覧いただきお気づきかと思いますが、秦野市から更に西部にある山北町は惜しくも継続して2D表示のままです。これで神奈川県における2Dのままの自治体は、山北町の他は真鶴町と湯河原町です。
山北町は周囲を丹沢と足柄の山々が覆い盆地にも見えますが地質学的には盆地ではなく、あくまで山に囲まれた場所、という概念だそうです。
このように山北町は小田原市や南足柄市を擁する足柄平野より北の山間部にあるため、グーグルアースから見ると市街地だという判別がつきにくいでしょうね。
真鶴町と湯河原町は将来的に3Dになってもおかしくありませんが山北町については優先度がかなり低くなるのでは、と思います。
3D表示に移行した秦野市内の駅
● 秦野駅北口
出口に特に愛称はありません。「丹沢口」とかあるものかと・・・。
小田急線秦野駅は1927年(昭和2年)大秦野駅として開業しました。
当時この場所は旧秦野町内ではなく町はずれの南秦野村に属していました。秦野駅という駅名は湘南軌道という別の路線の駅として存在しました。
ともあれ現在の位置に秦野駅が設置され、駅のすぐ北側には水無川が流れとても情景的かつ変化に富んだ街の風景を見ることができます。
秦野駅北側の水無川に並ぶビルを見ていると京阪電鉄 寝屋川駅前(大阪府寝屋川市)を思い出します。同じように駅のすぐ北側に川があり、川端にビルが並んでいるんです。
● 秦野駅 南口
近年開発著しい南口です。立派な出口とロータリーです。
旧来の市街地の北口側とは異なり、駅周辺は碁盤目状に道路が広く整備されています。この記事の最後の項で駅前南口の変遷がわかる画像を数枚あげております。秦野駅南口の歴史を是非ご覧になって下さい。
● 渋沢駅
秦野市街地のグーグルアース3Dビュー
● 本町四つ角
近代以降の秦野市の賑わいの中心。現在は小田急線秦野駅周辺というもう1つの賑わいの場所がありますが、小田急線の秦野駅開業前の古地図を見ますと秦野市にとって明らかに本町四つ角が唯一無二の中心だとわかりますね(赤い点が小田急線 秦野駅の場所)。
「今昔写真on the web」より1894~1915年の秦野の地図
● ディスカウントストア ダイクマ 創業の地(さかえちょう公園)
「♪ダ~イナミック ダイクマ~!」とシャウトするCMで一世を風靡したディスカウントストア ダイクマ。この有名チェーンストアの創業地があったのが実は秦野市です。創業当時は大熊呉服店と言う名前でした。
さかえちょう公園はダイクマの創業家が土地を市に寄贈した土地に出来た公園です。
湘南軌道と小田急線、それそれの駅。
現在、秦野市を通る鉄道は小田急線のみ。
しかしもう1つの路線が秦野市内に存在していたのです。
それが湘南軌道(1906年:明治39年~1937年:昭和12年)という軽便鉄道です。
秦野と海沿いにある東海道線の二宮駅の間を結んでいました。
秦野市は葉タバコの生産地で日本三大葉タバコの1つでした。湘南軌道の秦野駅前に日本専売公社(煙草については現JT)の秦野工場があり湘南軌道の終点・秦野駅からさらに工場内への引込線が伸びていたということです。葉タバコを工場から二宮駅に運ぶという役割も担っていたのです。
先に湘南軌道が開通し、後から小田急線が開通しました。
湘南軌道の経営を圧迫し廃止となった理由の1つに小田急線の開通があります。
湘南軌道のそれぞれの駅があった位置(黄色に赤い枠の丸)は市街地寄りだったということがわかります。
赤い丸は小田急線の秦野駅の場所です。古い地図に当てはめると当時の街外れ(旧南秦野村)に駅を設置したことがわかります。
小田急線の秦野駅は当初現在の場所ではなく従来の街の中心側に近い場所に設置が決まっていました。中心に近い秦野町乳牛(ちうし)地区に駅の設置が一度決まったのです(赤い丸の辺りだと思います)。乳牛地区現在の場所はすっかり秦野市の市街地となっていて今であればとても誘致は考えられないですが、当時は駅を誘致しやすい広々とした空間のあるエリアだったのですね。
しかし他の地区の住民がそれぞれ「我が地区の近くに」と掲げて揉めたため決定が暗礁に乗り上げ、結果的に現在の位置となりました。
さて秦野市で生産していた葉タバコですが、もともとはキセル用が主流。しかし時代の流れと嗜好の変化で紙巻用に転換、和59年頃に最後の生産農家が継続を断念したことで秦野市から葉タバコ生産の灯が消えました。
第二東名高速道路(新東名高速道路)と県道70号線
第二東名は東名高速道路のバイパスとしての役割を持つ神奈川県海老名市から愛知県豊田市までの約250kmの高速道路です(そのうち秦野市と御殿場市の一部区間だけ工事が遅れており未開通です)。
第二東名は既存の東名高速よりもカーブが少ない設計です。そのため山間部やトンネルの走行が多い事が特徴です。秦野市街でも例外ではなくほとんどがトンネルです。
神奈川県道70号線(黄色い線)は秦野市内から丹沢登山道やヤビツ峠に向かう道。
この道はロードバイクの聖地ということでその道の強者が己と戦う場所でもあります。
途中蓑毛と言う集落を通過した後に本格的な峠道に入ります。実は本格的な峠道に入る前の蓑毛区間が強者泣かせでもあります。峠道のように高低差の抑揚が無くひたすら登るだけだからです。
その蓑毛区間で県道70号線と第二東名が交差(上のGoogle MAPの画像の赤い丸)しています。
同じ場所での2003年ごろはこのような感じです。21世紀にはいってからも素朴な風景が残されていました。
第二東名の工事着手時期については公式の記録が見つかりませんでした。グーグルアースの過去画像を見る限り2012年のどこかのようです。ということはこの画像は工事着手の10年ほど前ですね。
小田急線 秦野駅北口駅前広場にある不思議なビル群
秦野市について最後に取り上げるのは秦野駅北口の駅前広場。
駅前広場の中に数棟のビルや駐輪場の施設がある極めて特殊な構造とも言える駅前空間です。
現地を地理的に見てみると、秦野駅北口側を流れる水無川と秦野駅本屋の距離はかなり近いのです。
秦野駅は地域の要衝でもあり丹沢方面の観光需要も考えると、駅本屋と水無川の間の空間は駅前広場としてバスロータリーやタクシー乗り場などで整備されたとしても不思議ではありません。
何故、このようなマニア心を惹きつける空間となったのでしょうか。
・街の構造が先に出来ていた?
・駅前広場が先に出来て後から都市計画の一環として建物群が出来た?
この疑問を解消すべく、国土地理院所蔵の古写真で秦野駅北口駅前の変遷を辿ってみたいと思います。
① 国土地理院画像(1961年~1969年のどこか)
昭和36年から昭和44年までの間に撮影された秦野駅周辺の貴重な画像です。
駅前には広場やロータリーなどは見られず、現在の駅前広場となる区域には街区がありその中にいれば駅と川の存在を忘れてしまいそうです。駅前には他の路地よりも広い道路があり街路樹などもあるように見えます。
② 国土地理院画像(1974年~1978年のどこか)
昭和49年から昭和53年までの間に撮影された秦野駅周辺の画像です。
現在の駅前広場の中の建物群と同じ感じで区画が出来上がっていますね。
駅本屋すぐ前は駅前広場化に向けた変化が見られます。
③ 国土地理院画像(1979年~1983年のどこか)
昭和54年から昭和58年までの間に撮影された秦野駅周辺の画像です。
駅本屋すぐ前にはバスターミナルやタクシープールなどが既に出来上がり運用されているようです。
現在の駅前広場の原型が出来上がっていますね。
④ 国土地理院画像(数年前)
ほぼ現在の画像です。昭和54~58年に原型となった区画の一部が無くなり広場になっています。それ以外はそのまま残されていることがわかりますね。
直近の秦野駅北口の変遷についてはタウンニュースの記事も参照下さい。
ちなみに神奈川県内ではお馴染みのタウンニュースの発祥はここ秦野市です。
(結論)
秦野駅北口は歴史的に駅前の市街地と商業地が先に形成されました。その後で駅前の交通拠点の整備進めましたが既存の建物を完全に撤去しませんでした。結果、現在の形となりました。
とても珍しい構造でもあり、同時に秦野駅前の歴史の痕跡が色濃く残る貴重な空間ですね。
サラッと終えようとした秦野市のグーグルアース3D化ですが、今回も秦野市の沼にはまってしまいグーグルアースと無縁の内容の方が濃くなってしまいました。
街には様々な歴史や不思議がたくさん詰まっているものですね。
こういった関心毎はグーグルアースを通じて沸き起こったものですし、その街への訪問の欲求にも繋がります。
では次の街の沼にハマりに行こうと思います。



























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