山形県庄内地方の都市鶴岡市がグーグルアースにおいて3D化しました。
山形県内には県庁所在地の山形市以外にも米沢市※・酒田市・鶴岡市といった人口10万人前後の都市が存在します(※米沢市は現在7万人台)。そのうち鶴岡市は私にとって未訪の都市で唯一グーグルアースでは3D対応していませんでした。
鶴岡市の都市景観をグーグルアースの3Dマップで初めて見た私の個人的な感想をどうぞ。
グーグルアースの3D化においての鶴岡市と酒田市
酒田市と鶴岡市はいずれも庄内平野の中にあり距離も近く人口規模も似ておりはた目から見るとまるで双子の都市に見えます。しかし実際には鶴岡市は庄内藩の城下町として武家文化が基盤です。一方酒田市は北前船の寄港により貿易で栄えた商人や町人の文化が基盤の都市です。このように都市としての成り立ちも性質も異なる両都市です。
このような2都市ですが、グーグルアースの3D化においては長らく酒田市のみが対象でした。
今回めでたく(?)両都市が3D化揃い踏みとなりました。
鶴ケ岡城跡(荘内神社、鶴岡公園)の3Dマップ
亀ヶ岡城の前身「大宝寺城」の誕生は鎌倉時代に遡ります。幕末まで存在した名城 鶴ケ岡城が感瀨したのは1600年代。廃藩置県で廃城となった後は鶴岡公園と藩祖三代酒井忠勝を祀る荘内神社となりました。
庄内藩は統治する大名の入れ替えが一切なく酒井氏のみで幕末と明治維新を迎えました。江戸中期の大名鞍替えの危機では領民の直訴により鞍替えが白紙になりました。また明治維新後庄内藩を追われ転封を繰り返した旧藩主を地虫や領民が中心となり基金を募り明治政府に献金し帰藩が許されました。酒井氏の善政と庄内藩の領民の気質の素晴らしさが伺えますね。
鶴ケ岡城跡周辺には鶴岡市の行政機関はもちろんのこと、歴史的にも文化的にも価値の高いスポットがいくつもあります。そしてそれらは今後必ず訪問すべき観光資源の宝庫でもあります。
羽越本線鶴岡駅 周辺の3Dマップ
やはり街といったらまずは駅周辺です。
鶴岡駅は羽越本線の主要駅の1つ。現在の場所での開業は大正18年(1919年)。全ての列車が停車します。開業時は市街地から離れた郊外にありました。
画像左側が鶴岡駅の南側です。駅南側には市街地が広がり、北側が工場や物流拠点などが広がっています。北側にはロータリーがありますが駅の出口が無く駅の出入りができませんが、南北の地下通路で南側との往来が可能です。
駅前の広大な更地は米どころを象徴するような農協のお米の倉庫があった場所です。郊外に移転となりました。函館の森倉庫のような観光資源へ転用を想起させる味わい深い建物群でした。
巨大商業施設マリカにはかつてジャスコが入居しいました。一見、他の地方都市にありがちな時代に取り残された遺物に見えますが、土産物店や観光案内書、市民ホール、ワシントンホテルの後を継いだAPAホテルなど入居し鶴岡駅前の振興を担うべく奮戦しています。
どの施設も口コミでは高い評価を得ています。情報によると消防施設の更新に伴う発注を業者にかけたようでまだまだ鶴岡駅前の再開発に終わりはありません。
鶴岡市中心部の3Dマップ(アーケード商店街)
銀座通商店街。
苦戦しているとはいえ鶴岡市の商業の中心地。鶴岡駅方面からは山王商店街を経て内川にかかる橋を渡りここに至ります。橋の位置と銀座商店街の位置関係が直線ではなくずれているところがとてもそそられます。江戸時代の街割りがそのまま現代の橋とアーケード商店街の位置関係として残っているのです。
サンロード日吉商店街。
苦境は銀座商店街以上ですが、こだわりのラーメン屋さん(ラーメン鈴や)が開業するなど街を盛り上げています。鶴岡市は注目の庄内ラーメン2大都市の1つ。アーケードの老朽化も悩ましいようですがこれまでとは異なる商店街の活性化に期待ですね。
山王商店街
サンロード日吉商店街と銀座商店街の間には山王商店街というアーケードの無い歴史と趣のある商店街があります。これら3つの商店街を合わせると1km以上になると思います。また鶴岡駅前からも中小商店が並ぶ道が続いており、モータリゼーションの影響が及ぶ前は相当賑やかな街並みが長距離に渡り見ることができたのでしょうね。
上記の商店街以外にも江戸時代の広範囲な旧市街が今も残っており、かつては相当な賑わいがあったと容易に想像できます。ですが決して鶴岡の街中が廃れたというわけではなく時代の変化とともに街中のあり方が変わった、それだけだと思います。
アーケード管理が市の管轄であれば他のインフラ同様に何かしらのメンテナンスが施されているか早々に撤去され新しい街づくりに向かって一歩進んでいたことでしょう。
ミニデパート 南銀座 池田(2025年11月30日 閉店)
1852年(嘉永5年)創業の老舗のミニデパート南銀座池田。多くの方に惜しまれて173年の歴史に幕を下ろしました。
鶴岡市の中心市街地は空洞化や商店街の衰退が深刻な状況が12~3年前の画像と比べてみるとよくわかります。閉店に至るまでの営業努力の苦労が偲ばれます。
鶴岡市中心部の3Dマップ(内川)
市内中心部を流れる内川は人工河川です。江戸初期の鶴岡市の街割り作りの頃に同時に作られました。水運、治水、そして鶴ケ岡城の外堀の役割を果たしました。これまで流路の変更はなく江戸時代の城下町そのままの川の形を見ることができます。
鶴岡市未訪問の私が最初に気になったのが鶴岡市中心部を流れる内川でした。
鶴岡市中心部の3Dマップ(荘銀タクト鶴岡/鶴岡市民文化会館と致道館)
荘銀タクト鶴岡(鶴岡市文化会館)は2017年(平成29年)竣工。世界的に有名な建築家・妹島和世(SANAA)が設しました。鶴岡市に本社を置く荘内銀行が命名権を取得しました。昭和のモダニズム建築かと思いましたが本当に新しいのです。歴史があり周囲の山々と素晴らしい景観に囲まれた鶴岡市を連想するデザインに最高の音響施設。観客席の形状も斬新かつ独特です。
この建物の外観を直に見るだけでも貴重だと言えそうです。まさに眼福です。
致道館は7代藩主の頃に開校。現存する藩校として全国的にも希少で国の史跡の指定を受けています。廃藩置県において政治的軍事的象徴だった鶴ケ岡城は全て破却となりましたが、藩の施設とは言え致道館は教育施設で明治以降の教育施設への転用を念頭に置いて残された可能性が高いと考えられます。
鶴岡市中心部の3Dマップ(旧風間家住宅 丙申堂/別邸 釈迦堂)
鶴ケ岡城近辺でとても目立つお屋敷があります。それもそのはず国の重要指定文化財の主屋を持つ庄内藩中隋一の豪商・地主だった風間家の邸宅跡です。武士ではなく町人身分ですが、財力と影響力によって藩の経済基盤を支え、庄内の商業・金融・都市形成に深く関わった家です。鶴岡市の重要な観光資源の1つです。
鶴岡市中心部の3Dマップ(鶴岡カトリック教会天主堂)
赤いとんがり屋根の建物は1903年(明治36年建立)の鶴岡カトリック教会の天主堂で国の重要文化財です。
場所は鶴ケ岡城の三の丸跡内。旧家老家の邸宅跡に建てられました。その際、武家屋敷の門が奇跡的に取り壊しを免れたことで西洋の天主堂と日本の武家屋敷の遺構が共存しているというとてもレアなスポットです。
1925年創立の幼稚園敷地内にありますが見学可能です。静かな見学を心がけましょう。
鶴岡市中心部の3Dマップ(羽前絹練株式会社)
鶴岡市の3Dマップ散策中に密集した大小様々な建物群に目を引かれました。
これは一体何なんだと調べたところ羽前絹練(うぜんけんれん)株式会社。この建物群の中で最も主力工程を行う精錬(※)棟が国の有形文化財に登録されています。
※絹織物を生産する主要な工程のひとつで、養蚕に始まり製糸・製織された織物から不純物を除去することで、絹をなめらかに仕上げ、光沢を生む工程。(鶴岡市HP)
鶴岡市はシルクの原料となる養蚕から精錬~染色・仕上げまで一貫して行う国内唯一の貴重な都市。もともとはは明治維新で行き場を失った庄内藩士3600人超が鶴岡市郊外を開梱したことが始まりだとか。
鶴岡市がシルクの街だということやその歴史を羽前絹練株式会社を通じて初めて知りました。
鶴岡市中心部の3Dマップ(旧荘内藩主酒井家墓所)
通常は非公開の酒井家墓所です。2023年に初めて一般公開されたそうです。
Googleアースの3Dマップで2200坪を超える墓所の広大さよくわかります。
大名としての酒井家初代忠次は徳川家康第一の重臣として有名過ぎるほどの戦国武将。その酒井家が庄内藩を治めたのは三代忠勝から。以来明治維新まで変わることなく酒井家が庄内藩の当主でした。
この墓所には庄内藩歴代藩主とその夫人などが眠っています。ただし庄内藩入部前の初代忠次と二代家次のお墓は京都知恩院にあります。こちらの墓所には分骨はしておらず供養塔とのことです。
鶴岡市中心部の3Dマップ(慶應義塾大学 鶴岡タウンキャンパス(TTCK))
鶴ケ岡城のほとりにまたまたひと際目を引く建物があります。慶應義塾大学 鶴岡タウンキャンパス(TTCK)です。
「山形県および庄内地域市町村との連携のもと設置されたものです。本格的なバイオの研究所である慶應義塾大学先端生命科学研究所があり、総合政策学部、環境情報学部や政策・メディア研究科の学生を対象とした教育活動も行っています。自然豊かな環境の中、教員も学生も日々研究に取り組んでいます。」(慶応義塾大学)
数ある地方都市の中でも鶴岡市が選ばれた理由。「日本の大学・研究所が都市部に集中しがちだが、鶴岡では自然・文化・地域の豊かさ、きれいな空気、食などを背景に、研究と地域の共存をめざす」(慶應義塾大学)
もともとこの場所には鶴岡市営野球場がありました。
致道博物館
年代物だとすぐにわかる建築物が多数集まるこの一角は致道博物館。
博物館と言うと普通は大きな箱ものを連想しますが、移築した近世の旧警察署や郡役場などの歴史的かつ貴重な建築物や旧藩主酒井氏の庭園など屋外にも収蔵物が多数展開しています。
鶴ケ岡城がもし残っていたら・・・
鶴岡市の街割りの原型は江戸初期まで遡り内川も街区もそのまま現代まで残るという貴重な城下町跡です。城下町の骨格は当時のままでお城だけが当時のままでは無いという稀な都市の例だそうです。
もし名城鶴ケ岡城の城郭や建造物が他の著名な城下町のように現代まで残っていたら・・・鶴岡市は鶴ケ岡城を観光の中心とした全国屈指の観光都市の1つになっていた可能性がかなり高いようです。
(宇都宮市も宇都宮城が現存していたらとてつもない観光都市となっていたようです)
鶴岡市に現在まで魅力的で歴史的な観光資源が多数あることがその可能性の高さを裏付けています。
鶴岡市をトッププライオリティに
鶴岡市の所感については3Dビューを入り口に気になるスポットをピックアップしました。
鶴岡市を必ず訪問して街全体の素晴らしさを体感します。
グーグルアースでの3D化をきっかけに鶴岡市を旅行希望都市の最上位にリストップしました。
今後
3D化してから時間が経ってしまっていますが上越市にも近々触れたいと思います。
春頃3D化の室蘭市はあれこれ詰め込み過ぎてUP断念、鳴門市も、北関東の多くの都市も放置・・・。そうこうしているうちに弘前市も3D化するのかな・・・。
いつもご覧いただきありがとうございます。



























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